ユートピアの崩壊 ナウル共和国
オーストラリアの北東、ブリスベンから3,500kmの位置にナウルという島国があります。全長およそ19kmのナウルは、バチカン、モナコに次ぐ小さな国で、人口は1万人弱です。
太古の昔からナウルは、北半球と南半球を季節ごとに行き交う渡り鳥のすみかで、そうした鳥の糞がサンゴ礁に長期間堆積し、化学肥料の原料となる莫大なリン鉱石が形成されました。
リン鉱石は、1896年に発見され、1907年から採掘が始まりました。当時ナウルはドイツ領でしたが、第一次世界大戦の後は、イギリスの支配下におかれ、第二次世界大戦中には日本が占領するなどを経て、1968年にナウルは、独立国となりました。
独立した頃には、調査の結果、ナウルのリン鉱石の産出量は90年代に入る頃から減少し、21世紀初頭には、リン鉱石がなくなることがほぼ確実であるということが分かっていました。
そこで、当時のデロバート大統領は、リン鉱石がなくなることに備え、長期的なリターンが見込める海外での不動産の購入、ホテル事業の買収、外国企業への経営参画を積極化しました。
一方で、デロバート大統領は、国の活動がもたらす果実を、国民全体で分かち合い、物質的、金銭的にゆとりのある暮らしを国民全員に約束するナウル型集産主義の実現を目指していました。
リン鉱石から生じるお金は、国民全員に還元されることになり、島の大地主たちは、地下資源からの不労所得で暮らす億万長者となりました。ナウル人は、働く必要がなくなり、働くとしても、公務員として、国営企業のエアコンの効いたオフィスで涼んでいるような状況でした。70年代には、ナウルの1人当たりGDPは世界一となり、世界で最もリッチな国となっています。
その後、リン鉱石の産出量の減少や採掘インフラの老朽化などマイナス要因が顕在化し、リン鉱石の埋蔵量が減少し確実に枯渇に向かっていきましたが、ナウル人の暮らしは変わらず、ナウル政府は、確かなリターンも見込めないまま、海外投資に邁進しました。
1980年代半ばからは政治も不安定となり、大統領が毎年のように入れ替わるような状況となり、政治指導者が国家のお金を浪費するなどが目に余るようになりました。
1990年代に入ると、リン鉱石の採掘現場は島の80%に達し、枯渇に向かっていることが明確になり、1997年には、リン鉱石の産出量は、過去最低を記録しました。しかし、ナウル政府は、歳出を削減する気がなく、借金を重ねました。
ナウルは、破綻状態となり、苦し紛れのマネーロンダリング支援やパスポートの不正発行がテロ組織に活用されるなど、国際的に批判されるようになりました。また、財政支援の見返りに、オーストラリアに密入国しようとする難民を引き受けるなどもしました。また、国連で1票を持つナウルは、国連加盟をめざす台湾から財政支援を受けたりもしています。
2004年には、リン鉱石の露天掘りの鉱山は、ほぼ枯渇し、国民の大部分である国家公務員への給与の支払いもできなくなりました。そして、島民たちは、遠い祖先が行っていたと同じように、家族を養うために釣りを始めました。
豊かな時代に、自ら調理することをやめ、外食で糖分や脂肪分の多い食事を採る習慣を身に付けたナウル国民は、人口の78.5%が肥満という肥満率世界一の国であり、半数が糖尿病と言われています。今では、朝から晩まで魚釣りやココヤシの実の収穫をしており、新鮮な魚やフルーツなどをたくさん食べるようになり、肥満などは改善に向かっているようです。
このナウル破綻の物語から何を学べるでしょうか。豊かさに慣れた人間が、それを自ら変化させることは難しいということは、ナウルに限らず、最近の各国の地球温暖化への対応などを見ていても良く分かります。特に、少しずつ問題が深刻化している場合には、ゆでがえるのように、うまく問題に対応することは難しいのが現実です。
現在の社会においては、多数のステークホルダーの影響を受ける政治レベルでの意思決定は難しくなっています。そこで、問題解決力を有し、迅速な意思決定ができる企業に対する期待が大きくなっています。これまでは、企業の利益追求と社会問題の解決は相反するものとの考えが主流だったかと思いますが、それを両立させようとする考え方がCSV*です。
世界がナウルのようにならないためにも、CSVを普及させることは必要だと考えています。
(参考)
「ユートピアの崩壊 ナウル共和国」リュック・フォリエ著(新泉社、2011年)
*CSV(Creating Shared Value=共通価値の創造)については、以下を参照
www.cre-en.jp/mizukami-blog/?p=162
www.cre-en.jp/mizukami-blog/?p=319
www.cre-en.jp/mizukami-blog/?p=436